●人類のDNA (2011年9月)

皆さんはこの形を見て何を想像するだろうか?
そう。
健全な日本男児なら小学生の頃誰もが一度は粘土で作った事があるであろう、
まきぐそうんちである。
自分の記憶では、それはまことちゃんに始まり、Dr.スランプで大ブレイク。
特にDr.スランプでは人間の排泄物を通り越し、うんちに人格まで持たせてしまった。
形を崩さない様にひっくり返し、下から小枝を突き刺す達人技や、お手玉うんちにおさんぽうんち。
それらの技に挑戦した人も多い事と思う。
まさにうんちの表現の革命と呼ぶにふさわしい芸術作品である。
おそらく多くの人のうんちのイメージはアラレちゃんの影響による物が大きい。
と、この前までは思っていた。
ある日の仕事中ふと思った。
そういえばこんな形のうんちって実際に見た事がない。
あんな形を実際に創る事は可能なのだろうか?
そこで早速うんちがあの形になる条件を考えてみた。
1、地面が平らである事
現代の水洗式トイレの様に斜めだったら崩れてしまう。
2、肛門から地面までの距離が適度な事
近すぎたらけつと地面の間でつぶれてしまう。 そして遠すぎたら千切れてしまう。
3、程よい硬さ
柔らかすぎたらべちゃーっとなる。 硬すぎたら棒状になってしまう。
4、手頃な長さ
3まわりくらい出来るほど。のばしたときの長さは20cmほどと思われる。
5、最後のしぼり方
ぶちっと切れたら頂点が平らになってしまう。 うまい事尖る様にしぼらねばならない。 ケーキをホイップクリームでデコレーションするときの最後にぴっっとやる技が必要かと思われる。
6、奇麗なけつのグラインド運動
何よりこれが一番大事。
このようにこれらすべての条件が揃わないと出来ないのではないかと思う。
どれか一つでもかけたらおそらくあの形にはならない、
まさに奇跡の一品なのである。
では何故見た事のないあの形をうんちと認識する様になったのか?
おそらくそれは前述した様に、
梅図かずおや鳥山明がうんちをシンボル化したおかげであろうと思う。
そこでふとある疑問が頭をよぎった。
果たしてアメリカ人はこの形を見てうんちであると認識するのかどうか?
疑問は晴らさないと気がすまない性格なので、
さっそく仕事で使っている粘土でうんちを造ってみた。
製作期間15秒。
プロになって最速である。
そしてそばにいるアメリカ人に見せて聞いてみた。
これは何に見えるか? と。
答えはすぐに帰ってきた。
<うんちだ>、、、と。
注 <>内の言葉は英語とする。
何の疑問もない。 これはうんちだそうだ。
そこですかさず彼に、
ではこんなかたちのうんちを見た事があるのか?
と聞いたらやはり見た事ないと。
なおも私は攻撃を続けた。
では何故これをうんちだと思うのだ?見た事がないくせに。
彼は、わからないけど小さい頃から粘土をもったら
まずみんな造る物はこういう形のうんちだとのたまう。
アメリカ人の貴様にまきぐそうんちの何がわかるというんだ。
と心の中で見下しつつ、さらにもう2人のアメリカンにも聞いてみた。
やはり答えは同じ。
2人ともうんちと答えたが、やはりこんな形の本物のうんちは見た事がないという。
しかし日本人と違う所は
アラレちゃんのように、この形をうんちと思わせる決定的な資料が存在しないという事だ。
もうこうなると、この形は人間の潜在意識に、、、、いや!太古の昔から
人類のDNAにインプットされているのではないか?
人間の進化の歴史はうんちの歴史。
猿から人間になった時すでにあのDNAを彷彿させるような美しい螺旋形は
うんちの形としてインプットされていたのではないか?
DNA=うんち
このセンセーショナルな発見を学会に発表しようとまで思い始めてきた。
しかしまだ資料が足りない。
私は辺りを見回した。
もう一人いた。
イギリス人だ。(女性)
私は粘土のうんちを手に握りしめ、
つかつかと一直線に彼女のもとに進む。
そして彼女の目の前に手を差し出すと、
ゆっくりと手の中にある汗ばんだ黄金色のDNA、、、 いや、 うんちを彼女に見せる。
そして聞いてみた。
これは何に見えるか?
彼女はそれをしばらくじっと見て、
そして自信と確信に満ちた眼光で私の眼を鋭く見つめると力強く一言発した。
<うんち>
イギリス女よ。 お前もか!
そして間髪入れず私はアメリカンにもした質問を彼女にもした。
お前はこんなうんち見た事があるのか? 、、、と。
さっきまで自信に満ちていた彼女の眼が突然曇る。
悔しそうにうつむくとため息をつきながら小さく言葉を発した。
<ない、、、>
どうやら学会に発表する時は近づいたようだ。
もう仕事どころではない。
仮に既にこの形の情報が人間のDNAに組み込まれているとしたら、
小さい子供でもこの形をうんちと認識しなければいけない。
彼女には5歳の娘がいる。
そして自分にも同じ年齢の娘がいる。
これを見過ごす手はない。
私は宿題として、
彼女にこのうんちを持たせて娘に何に見えるか聞いてもらう事にした。
その日彼女は、食べ終わった弁当箱にうんちを大切にしまい家に持って帰っていった。
自分も新たなうんちを粘土で造り家に持ち帰ることにした。
今日は眠れないぞ!
つづく
ESSEY 目次に戻る→
|